やまだ屋について

やまだ屋の歴史

昭和7年10月もみじ饅頭の製造元として創業
この頃の製餡(あん)は、レンガ造りのかまどで小豆を炊き上げ、樽に移し、専用のゴム長靴を履いてかけ足の要領で皮むきをしました。餡練り機もありませんので、砂糖を加える段階で練り棒で火詰めをしました。「餡一斗炊くのに汗が一斗も出る」という例えができるほど、大変な工程でした。
昭和19年頃第二次世界大戦の影響でもみじ饅頭の製造を一時中断
諸物資は政府統制下に置かれ、砂糖も配給制。そのほかの原材料も入手できなくなり、おのずともみじ饅頭は製造中止に追い込まれました。
昭和28年もみじ饅頭づくりを再開
物資統制令の解除とともに食料事情も良くなり、念願であったもみじ饅頭づくりを再開することができました。
昭和32年もみじ饅頭の売れ行き好調
この頃よりもみじ饅頭の味の良さが観光客に次第に知れ渡り、販売数量も増えてまいりました。製造量も急激に増大して、繁忙期には度々品切れとなるほどでした。
昭和50年代製品の個別包装化開始
昭和50年代に入り、衛生管理の向上と製品の高級化のため、もみじ饅頭を一個ずつフィルムで個別包装するようになりました。
昭和55年10月漫才ブーム到来
広島と岡山の出身の漫才師がB&Bというコンビを組んで売り出しました。掛け合いの中で広島出身の洋七がもみじ型を手で形どって「もみじ饅頭」と盛り上げたことで、もみじ饅頭の名が一躍全国に知れ渡り、名物菓子の一つに数えられるようになりました。
昭和58年秋からこしあん以外の新製品の開発が進む
この頃より新製品の開発が進み、若年層の要望でチーズ、チョコレート、クリームなど。そのほかにもつぶあん、抹茶、大もみじ等、様々な中餡のもみじ饅頭が発売されました。
平成6年もみじ饅頭の製造数量、過去最高に
平成5年の新広島空港の開港、山陽自動車道の開通など交通整備が整い、宮島観光来島者が300万人を超え、過去最高となりました。それに伴いもみじ饅頭の製造数量が過去最高となりました。
平成8年12月厳島神社が世界文化遺産に登録される
平成8年12月6日厳島神社が世界文化遺産に登録され、平成9年1月5日からはNHK大河ドラマ「毛利元就」が年間通して放映になるなど、宮島にとって大きな宣伝媒体となるプロジェクトが二つ重なりました。この年の来島者は312万人を超え、再び観光景気が訪れました。
平成9年3月安芸銘菓「桐葉菓」の誕生
広島の茶道の宗家上田流宗匠の指導を頂き、「桐葉菓」と命名、製品化して販売 を開始しました。
平成14年全国菓子大博覧会で「桐葉菓」が最高賞を受賞
『和菓子のオリンピック』とも呼ばれる全国菓子大博覧会で、当社の「桐葉菓」が最高賞である名誉総裁賞を受賞いたしました。
平成17年から地元のアイデアを生かした新商品開発
平成17年10月に、JA広島果実連と一年余りにわたり研究・開発した、広島特産のみかんとレモンを生かした「みかんもみじ」「レモンもみじ」を発表。また平成20年元旦には、広島のクリエーターらが発案した竹炭入り「黒もみじ」を発表しました。
平成17年11月RAKU山田屋 誕生
「素材にこだわった和スイーツ」をコンセプトに、新ブランドRAKU山田屋を開始しました。
平成18年11月手焼きもみじ饅頭体験を開始
宮島本店2Fで「もみじ饅頭手焼き体験」を開始しました。
平成22年3月もみじ饅頭(こしあん)が「ザ・広島ブランド 味わいの一品(※)」に認定
平成22年3月18日、もみじ饅頭(こしあん)が「ザ・広島ブランド 味わいの一品」として認定されました。
平成22年7月おおのファクトリー竣工
廿日市市沖塩屋に新工場「おおのファクトリー」を建設。各製造部門を移転。
平成24年2月桐葉菓(とうようか)が「ザ・広島ブランド 味わいの一品(※)」に認定
平成24年2月15日、桐葉菓(とうようか)も「ザ・広島ブランド 味わいの一品」として認定されました。
平成24年やまだ屋 創業80周年
NHK大河ドラマ「平清盛」も追い風となり、年間の宮島来島者数が380万人を突破、過去最高に達しました。やまだ屋でも「平清盛」に因んだ新商品「平家一門」「丸にあげは蝶」「英雄清盛」を発売しました。
平成25年3月ひろしま菓子博2013開催
「世界にとどけ!笑顔を結ぶお菓子のちから」を合言葉に第26回全国菓子大博覧会が広島で開催されました。この博覧会でやまだ屋の「聖乃志久礼」「英雄清盛」、RAKU山田屋の「高舞台」が賞をいただきました。

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